絵の話。

 

 仕事を手にするために説明会に足を運んだり、筆記試験の勉強をしてはいるものの力が入らない。そんなわけで現実逃避も兼ねて絵の話をしようと思う。

 

自分は小学校1年から3年までの二年間、毎週水曜日に絵画教室に通っていた。始めた理由は、幼稚園に入る頃まで祖母が定期的に行っていた絵画交流会に付いていき、そこで老人にチヤホヤされたことで自然と絵を書くのが好きになったからだったと思う。絵画教室は実家の近くのコミュニティセンターの大教室で行われており、主に小学1年から中学2年位の子供達が通っていた。低学年は同じ題材を水彩画で書き、高学年は各自油絵を描いていた。自分は油絵に移る前に辞めてしまったので水彩画について当時の思い出を振り返りながら説明しよう。

教室に着くと、まず先生に挨拶して各自好きなポジションに座って下書きを始める。画用紙は一人一枚しか配布されない(今思うとかなり月謝が安かったので切り詰めるところは切り詰めたかったんだと思う)ので濃く下書きをすると絵の具を使う時に痛い目を見ることになる。鉛筆の痕に絵の具が乗って変な感じになってしまうのだ。それなりの年齢になった今では当たり前のことだったが、悪ガキだった当時の自分はこうしたミスを定期的にして先生に注意されていた。当時も下書きの時点で痕だらけになった時はガン萎えしていたのを覚えている。

そんなこんなで下書きを終えると一度先生からチェックを受ける。とはいえ、お遊びの教室なので子供が親に見せる時に困らない(変なラクガキや不適切な言葉などが書いていない)ようにしていたのだと思う。先生からゴーサインを受けると絵の具を使って色を付けていくのだが、自分はこの作業がとても嫌いだった。

というのも、当時の自分は手先がとにかく不器用であり、せっかく細かく描いた部分も絵の具で塗りつぶしてしまっていた。チマチマ色を塗っていくのが性に合わなくて、持っている中で一番大きな筆ばかり使っていたのも良くなかった。筆の手入れを適当にしていたせいで一番使う筆以外は毛先が固まって、お湯で解しても細かい部分を描くのが難しかった。こうして下書きまでは自信作だったのに完成品は自分でもこれは酷いと感じる作品ばかりを世に残してしまったのだった。

絵を書き終えた後は先生から講評してもらい、家に持ち帰った。上にもあるように自分の絵の出来はかなり酷いものだったのだが、先生や絵をよく見せていた母親は自分の絵を独創的で良いと褒めてくれたのを覚えている。たくさんの絵を見てきた先生は恐らくコメントし辛い絵については「独創的」「芸術的」という言葉でお茶を濁すことにしていたのだろう。背景は絵の具の減り具合を相談しつつ描いていたので、時には紫の禍々しい世界の中央に書き込みがほとんどないリンゴがあるという時もあった。それでも芸術肌だと褒めてくれるので満更でもなかった。母親は先生が褒めているから自分では理解出来なくてもなんか凄いんじゃないかと思いこんでいたのだろう。今思うととても申し訳ないことをしてしまったと思う。

絵画教室では、教室で水彩画をする以外にも活動することがあり、少し遠出して広い公園で写生をしたり、先生の家にある作業部屋で陶芸をしたこともあった。教室に通っていた同級生が仲の悪い堀井(仮)しかいなかったので、長時間拘束されるこうしたイベントには苦手意識があった。だが、陶芸だけは開かれるのが待ち遠しかったのを覚えている。

先生の作業部屋は林の中にポツンと佇んでおり、秘密基地や隠れ家のような風貌をしていた。その中にはDIYで作ったようなテーブルと椅子が配置され、奥には大きな窯があった。陶土を渡されて、各自思い思いの皿を作っていくのだが、この時間がとにかく楽しかった。すること全てが新鮮であり、何となく誇らしい気持ちになっていたと思う。そうして形つくったものを窯に入れて焼きあがるのを待つのだが、その時間も楽しくて食いつくように窯の中を覗き込んでいた。手先が不器用な上に大雑把だったので出来上がった皿も模様が何なのか分からなかったり、歪んだりしていたが、親に見せるのが楽しみでワクワクしながら帰った。出来上がった作品は全て居間の窓際に飾ってもらった。(どちらかと言うとただ置いただけだと思うが)

それなりに楽しみつつ自分の絵のセンスのなさに落胆する日々が2年ほど過ぎたある日、自分の絵画生活に転機が訪れた。

その頃からつるむようになった友人が絵画教室に通っていた水曜日に近所の駄菓子屋で買食いをするようになったのである。誰にも覚えはあると思うが、仲の良い友達が自分のいないところで楽しいことをしていると羨ましさと自分を除け者にした苛立ちで心が支配されてしまう。しかも自分は大して仲も良くない堀井(仮)位しか話相手がいなかった。友達と遊ぶこと以上の優先するべきことが当時は無かったので、すぐに母親に絵画教室を辞めたいことを伝えた。息子が芸術家になるかもしれないと思っていた母親は酷く落胆したが、なんとか辞めることを許してくれたのだった。

結局絵画教室では特に何かを得たわけではなかった。ピアノのように演奏技術を学んだわけでも、野球やサッカーの少年団のように素人では到達出来ない技術を学んだわけでもない。敢えて意味を見出すとしたら何かの作業をして手を動かし続けることに苦を感じなくなった位だろうか。プラモデルを作る時には役立ったが、塗装技術は身についていなかったので水性ホビーカラーを塗りたくったシャアザクが出来上がってしまったのだが。

気が向いたら小学5年から卒業まで通った公文教室の話をしようと思います。